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最高裁判所第二小法廷 昭和62年(オ)774号 判決 1991年1月18日

上告人

東京都

右代表者知事

鈴木俊一

右指定代理人

和久井孝太郎

外三名

被上告人

岡田理

右訴訟代理人弁護士

内山成樹

右訴訟復代理人弁護士

酒向徹

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人金岡昭、同和久井孝太郎は、同吾田健二、同鈴木健一の上告理由について

一原審が確定した事実関係は、おおむね次のとおりである。

1  昭和五六年五月二二日午後七時五〇分ころ、「自由光州一周年―光州民衆決起を忘れない! 日韓連帯デモ」と称するデモ(以下「本件デモ」という。)行進の参加者ら約五〇〇名は、二個梯団に分かれ、それぞれの梯団の先頭に宣伝車を配置し、東京都千代田区紀尾井町所在の清水谷公園から、デモ行進を開始した。

2  警視庁は、本件デモの整理のため、第七機動隊副隊長八木沢利三警視の指揮の下に第二中隊を配備したが、同中隊は三個小隊に分かれ、さらに各小隊には三個分隊があるところ、そのうち第三小隊所属の永吉分隊長外四名の分隊員がデモ第二梯団の先頭誘導員の任務に当たっていた。

3  被上告人は、本件デモ行進に加わったが、自らデモの隊列には入らず、デモの整理や二個の梯団の間の連絡の役割に当たって、デモ隊列の横(歩道側)を歩いていた。

4  第二梯団は、三列ないし四列縦隊で行進していたが、午後八時ころ、赤坂見附交差点で、先頭・中間・後尾の三グループに分かれ、それぞれのグループが本件デモの許可条件に違反する蛇行行進を行ったので、機動隊員はこれを規制した。その際の永吉分隊長外四名の先頭誘導員が行った規制の方法は、先頭誘導員がデモ隊と宣伝車の間に入りデモ隊の進路前方に横一列に並び、右足を前方に出して体重を左足に掛け、左足を大きく引いて、両手をデモ隊頭部の者の胸、腰などに当ててその進行を制止し、規制を解除する時は、先頭誘導員は、デモ隊先頭部の者の胸、腰に当てていた両手で相手の体を押しながら自分の体を起こして飛び退き、車道中央線寄りに退くというものであった。

5  その後、溜池、虎の門、新橋駅前、数寄屋橋、鍛冶橋の各交差点でも、同様の経過で、機動隊とデモ隊の間で押し合い等があった。

6  午後九時過ぎころ、本件デモが千代田区丸の内一丁目一一番一号日本興行銀行東京支店先路上(以下「本件現場」という。)の横断歩道の手前約一〇メートルの地点に差し掛ったころには、永吉分隊長外四名の先頭誘導員は、規制を解除し、第二梯団の前方右側車道中央線側に縦一列になってデモ隊と並進していたが、被上告人は、機動隊員による規制行為に抗議しようとして、一審判決別紙図面記載のとおり第二梯団先頭グループの左側から、その右側前方を歩いている先頭誘導員の機動隊員に近づき、そのうちの一名に対し、「デモ隊と宣伝カーの間に機動隊が入って来ることはできないはずだ。出ていってくれ。」などと抗議したが、その機動隊員が前方に黙って歩いて行ったので、さらに、被上告人は、その左側に並んで、同様に抗議したところ、その機動隊員は「生意気いうな。」と叫びながら、振り向きざまに右手拳で被上告人の左口唇部を一回殴打した。そのため、被上告人は、左後方に飛ばされ、左肘から路上に落ちて同所に仰向けに転倒した。

7  被上告人は、この結果、左上口唇裂傷、左肘部挫傷及び左下口唇挫傷の各傷害(以下「本件傷害」という。)を負い、左上口唇部を約四〇針縫合する等の治療を受け、治癒するまで約七か月を要した。

二原審は、右事実関係の下において、被上告人を殴打した機動隊員は、上告人の公権力の行使に当たる公務員であって、本件デモに対する前記警備活動がその職務に該当することは明らかであり、本件加害行為は、警備活動を担当していた機動隊員によって警備活動に伴って故意にされたもので、これを正当化する特段の理由があるとも認められないから、違法であり、上告人は被上告人に対し、国家賠償法一条一項に基づき機動隊員の暴力行為の結果生じた損害を賠償する責任を負うとしている。

三しかしながら、前記一の原審の事実認定のうち、7の被上告人の本件傷害が6の機動隊員の殴打行為に因って生じたとの点については、にわかに首肯することができない。その理由は、次のとおりである。

1 原審の認定によれば、被上告人は、機動隊員の殴打行為により、左後方に飛ばされ、左肘から路上に落ちて同所に仰向けに転倒したというのであるから、被上告人の顔面部分の本件傷害は、機動隊員の一回の手拳による殴打行為に起因したことになる。しかし、本件現場付近を撮影した写真であることに争いがない<証拠>によれば、先頭誘導員たる機動隊員は手袋を着用していたことがうかがわれるのであるから、手袋着用の手拳による一回の殴打行為により、本件傷害、特に約四〇針縫合するほどの左上口唇裂傷が生じたとの認定判断については、経験則上、合理的な疑いを抱かざるを得ないし、少なくとも、着用した手袋の厚さいかん(原審証人矢田部直之の証言によれば、厚手の軍手を着用していたことがうかがわれる。)によっては、そうした傷害の発生が否定される蓋然性は高くなるものと思われる。したがって、右機動隊員がどの程度の厚さの手袋を着用していたのか、その手袋を着用した手拳による殴打行為と本件傷害の部位、程度との因果関係の整合性等について十分審理、判断を加えなければ、殴打行為と本件傷害発生とを直ちに結び付けることができないはずであるから、手袋が着用されていたかどうかさえ判断せず、単にその殴打行為に起因して本件傷害が生じたと即断した原審の判断には、著しく合理性を欠くものがあるといわなければならない。

2 上告人は、被上告人の本件傷害の原因について、「本件現場において、機動隊の先頭誘導員らが第二梯団の先頭部に対する前記一の4のような規制を行いそれを解除したところ、デモ隊が勢いがついた状態で前進を開始し、その時、ちょうどそこに飛び出して来た被上告人が、デモ隊の先頭部に突き飛ばされて歩道方向に前のめりになって転倒したためである。」と主張しているが、これについて原審は、被上告人が右主張のように「前のめりに転倒したとしたら、通常反射的に手又は腕で顔面部を防護するはずであって、何ら顔面を防護しないまま前記のような負傷をし、また、顔面の他の部分や手を何ら負傷しないですむということは、たやすくは考え難い事態である。」と説示して、上告人主張のような機動隊員の規制及び解除の事実の有無について判断を加えないまま(原審は、この点について判断をした第一審判決理由の該当部分を引用していない。)、上告人主張の右被上告人の転倒による負傷の可能性を否定している。しかし、およそ全く予知しないときに、他人から背後を強い力で押されて前のめりに転倒したような場合には、その力の大きさいかんによっては、反射的に手又は腕で顔面部を防護する暇もなく、顔面部を直接路上ないしは突起物に激突させることもあり得ることは、経験則上、容易に想定できるところであるから、特段の事情もなく、そうした事態発生の可能性を全く否定してしまうことは、むしろ経験則に違反する不合理な判断というべきである。そして、本件において、仮に、原審が認定して指摘するような、デモ隊の宣伝カーによる抗議放送や機動隊の先頭誘導員の後方所属分隊への復帰等の事情があったとしても、そうした事情だけで上告人主張の右転倒による負傷事故の可能性を否定できるものではないから、原審が本件現場において機動隊員による規制及び解除があったかどうかについて判断を加えなかった点に、合理的理由を見出し得ない。

四そうすると、原審の前記説示部分には、前項に指摘した点において経験則違反ひいては審理不尽、理由不備の違法があるものというべく、この違法が原判決に影響を及ぼすことは明らかである。したがって、この点の違法をいう論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そこで、更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すのが相当である。

よって、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官木崎良平 裁判官藤島昭 裁判官香川保一 裁判官中島敏次郎)

上告代理人金岡昭、同和久井孝太郎、同吾田健二、同鈴木健一の上告理由<省略>

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